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うんちは何を語る?

第二の脳といわれる腸と人の体のかかわりについて、興味本位に書きつづります。

うんちが高く売れる?!

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近代農業で肥料といえば化学肥料です。

もちろん、自然農法・オーガニック農法なども普及していますが、主流は化学農法でしょう。

しかし、古代から20世紀後半までは、糞尿を肥料に用いた農業が当たり前だったわけです。

 

 

当時、ヨーロッパでは農家で飼われた家畜の糞尿を肥料に使っていました。

一方、日本では、古来から人のうんちを農業に利用していました。

どちらも糞尿利用という点では同じですが、実は人糞を肥料として用いるのは、世界的に見ると一般的なものではなく、多くの国・民族においては、どちらかというと人のうんちを人間の食料生産に投下することは忌避されていたようです。

しかし、日本をはじめ東アジア地域では、伝統的に肥料として人糞が利用されてきました。

 

うんちのリサイクル

日本の農村において、うんちが肥料として用いられるようになったのは、鎌倉時代末期だといわれています。

実際、当時の文献には、板を渡した程度の汲み取り式トイレや、人糞を溜める「肥溜め池」や「肥桶」が登場するそうです。

 

鎌倉幕府は、収穫性を高めるために二毛作を奨励し、人糞を積極的に肥料として利用することを説き、人糞を肥料にするために、農家の庭先に穴を掘って溜めておくよう指導しました。

となると、農家の人たちは年がら年中、臭い中で生活したいたことが想像できます。。。ちょっとキツそうですね(苦笑)

 

人糞の農業利用により、日本では都市部の人糞を農家が回収するシステムが確立し、そのおかげで当時の日本の都市は、世界的に見てもかなり清潔だったようです。

リサイクルのアイコン

 

しかし、日本の中でも一部の地方では、「人のうんちは田んぼの神を汚す」という考えに基づいて肥料として使われず、そういった地域では、川の上に掛け渡した建屋で用を足し川に流していました。

このことから、トイレのことを「川屋」と呼ぶようになり、これが「厠(かわや)」の語源だといわれています。

 

戦国時代以降、各地で城下町が発展し、江戸時代には武士に加え町人階層も職業別に住居を構えるなど人口が増加し、商業や交通の中心となりました。

そして、城下町周辺の農村は、町へ食料(農作物)を供給し、城下町で発生する人の糞尿を回収し、それを肥料として田畑に返すというサイクルができ上がったのです。

当時イエズス会の宣教師として各地を伝道して歩いたルイス・フロイスは、「我々(ヨーロッパ人)は糞尿を運び去る人に金を払う。しかし、日本ではそれを売り、その代償に米に金を払う」と書き記していますから、江戸や京・大阪だけでなく全国各地でうんちのリサイクルが行われていたということです。

 

うんちランキング

興味深いのが、当時うんちの品質に等級があったということです。

ランキングの主旨は、「いつもご馳走を食べ、魚を食べている人のうんちは作物によく効く。これに反して粗食の人のものは効果が低い。なので、繁盛している土地の下肥(うんち)を肥料としている村は、野菜や穀物がよくできる」ということです。

つまり、江戸では、うんちの品質は上中下の3段階に分かれて流通しており、大名家・旗本家や大店のものを上級品、中級品は一般の武家・町家、貧民の多い長屋のものは下級品とされていたそうです。

冗談のような話ですが、その実、けっこう理に適っているのかもしれません(笑)。

 

いずれにしても、江戸時代にはうんちが高額(~低額)で売れたわけですが、そのおかげで町が汚れず、世界でも有数の清潔都市が維持できていたことが幕府の狙いだったとすれば、優れた統治力を認めざるを得ませんね。

 

ヨーロッパはトイレ先進???

約2000年前、ローマ帝国の時代には、すでに上下水道が整備され、汚物を水で洗い流すトイレもつくられていたといいます。

ヴェスヴィオ火山の爆発によって都市全体が火山灰に埋もれてしまった古代都市ポンぺイの遺跡からは、家の中のトイレ跡はもちろん、公衆トイレ跡も発見され、約1600個の便器が発掘されています。

 

ところが、古代ローマ帝国が滅びるとともに、トイレは姿を消してしまいました。

ローマを滅ぼした北方ゲルマン系民族は、野外での狩猟生活を主としており、家の中にトイレをつくる風習がなかったからです。

そうなると町のあちこち、道路や広場はうんちやおしっこで汚れ放題となり、おまけに地下にしみ込んだ糞尿が井戸を汚染する結果になりました。

 

一説によると、女性のハイヒールは汚物のぬかるみで裾を汚さないために考え出されたといいますし、当時の貴婦人たちがはいていた裾が広がったスカートも、実はどこでも用を足すための形だったともいわれています。

さらに、2階・3階の窓から投げ捨てられる汚物をよけるために、マントが必要になったといいますから、いかに町が汚れていたのか想像できますよね(汗)。

そういったことの対策として、近代ヨーロッパでは下水道を発達させていったんです。

 

ベルサイユ宮殿だって糞まみれ?!

現在では世界文化遺産に登録されているヴェルサイユ宮殿17世紀のフランス芸術を代表する建物です。

ベルサイユ宮殿の景色

ルイ13世がこの地に狩猟の館を建造して以来、その息子のルイ14世が改装と増築を施し、1682年に政府と宮廷を移し、フランス革命の勃発までこの宮殿には、代々のフランス国王が暮らした宮殿です。

 

当時、べルサイユ宮殿には王様や貴族をはじめ、その召使いなど約4000人が住んでいたそうです。

が、宮殿内には腰かけ式便器は274個しかありませんでした。いうまでもなく、これではトイレの絶対数不足は明白です

 

そのため、豪華な舞踏会のときにさえ、清潔好きな人は携帯用便器(おまる)を持参して用を足したんですね。

ただ、便器に溜まった汚物は当然持ち帰るわけもなく、召使いたちが庭に捨てていたそうです。

もともと宮殿内の便器の中身も庭に捨てていたのに加え、「おまる」の中身、それから便器のない人は廊下や部屋の隅、庭の茂みで用を足していたため、絢爛豪華な庭園は、うんち・おしっこであふれ、ものすごい臭いがしていたといわれています。

 

このような有様に、宮殿お抱えの庭師が怒り、庭園に「立ち入り禁止」の札を立てました。

しばらくは、立て札の甲斐なく汚物汚染は続きましたが、国王ルイ14世が立て札を守るように命令を下したことで、庭の治安(?)がしっかりと守られるようになったんだとか。

このことから、フランス語で「立て札」を意味するécriteauが、etiquette(エチケット)の語源だといわれています(諸説あるようですが・・・)。